プロフィール

ミル★ヤタガラス

Author:ミル★ヤタガラス
I am #1 Arnold Schwarzenegger Fan & #1 Steve McQueen Fan in The World
元東京エムケイ・タクシーのNo.1ドライバーから業界初 L.A営業所に主任として勤務
世界初6月6日公開のディズニー映画『トゥモローランド』に隠されたニコラ・テスラのフリーエネルギー社会が到来する謎解きに成功
スティーブ・マックィーンとアーノルド・シュワルツネッガーの二人を究極に愛した私は1990年より世界を救う活動を開始。 愛と平和と英知の正しいのトゥモローランドの作り方を教える情報ブログ

幼少期 病弱な母親が目の前で何度も発作を起こしたり
治療の為 離れ離れで暮らして育つなどをした為、愛情に飢えた私は次第にマックィーンが好きになる

1984年9月 多感な思春期に好きだった女の子が不遇な事件に遇い、何もかも嫌になりマックィーンに憧れアメリカへ留学をする

しかし帰国後も事件を起こした人物への復讐心は止まらず、私の憎悪は肥大をしていった

その事件から5年間のストレスが原因か、21歳の時に突如 狭心症となった私に聴こえた
『  大丈夫 シュワルツネッガーとあなたが世界を救うから 』 という

不思議な声・・・・

復讐心を棄ててその声に従い行動するも1年後になんと拘置所へ3カ月間収監されてしまうことに・・・・

出所後もその声に従いシュワルツネッガーと一緒に世界を救う活動が出来るように行動を続け、数々の信じられないアーノルドとのエピソードを作る

また高倉 健さんと京都で会うことができた後、30歳になる前に上京


そして全ての過去を棄てるべく、戸籍から改名をし人生の再出発

改名後 トントン拍子で営業成績がアップ 6年連続で年末度トップの営業マンになる

2006年にアメリカでスティーブ マックィーンの未亡人であるバーバラ・ミンティさんやマーシャル・テリルさん、2007年にブルース・リーやチャック・ノリスの親友でありマックィーンの空手の指導者だったパット・ジョンソンさんらと出会い

来日された時は私がガイドとなって一緒に国内旅行をする事になり親交を深める

3・11後の私を心配して下さり、L.Aの営業所へ私が働けるようにバーバラさんとマーシャルさんが会社の社長へ推薦状を書いて下さり

1年後 業界初 主任扱いでL.A勤務をしましたが

グリーンカードの取得が出来ず、短期滞在で、ほどなく帰国

また健さんの映画に出演する、たけしさん、志村けんさん、岡村隆史さんの3人の大物芸人との不思議な交流も体験しました。

高校時代から今までに3度の不思議な予知体験をした事で、目に見えない世界を信じることが出来る私ですが

交際2年半を経てバーバラさん、マーシャルさん、パットさん夫妻がお祝いの準備をしている直前、2014年の年初に結婚詐欺に遇う。

気力でそれを乗り越えようとしている時にヤフーニュースで知った話題を元に検索していくと、なんと私の人生が狂い出した84年の事件の被害者3人の中の1人が、今度は加害者と同じ立場の人間となって、そのダンナが起こしたイジメが原因で、ある子供が自殺をする全国的になった大ニュースを知る。

しかもその妻は謝罪することもなくダンナの行為を擁護している事を知り、私の30年間はいったい何だったんだと奈落のそこへ突き落とされる・・・・・

その妻が、あの『 スクールウォーズ 』のモデルになった京都の伏見工業高校のラクビー部監督 山口良治の娘であり、また山口良治の隠蔽された真実も知る

仏様の手の平の中で30年間 厳しい修行をつんだかのように、もがき苦しんでいた時に

千原ジュニアさんが『 すべらない話 10周年 スペシャル 』にて私とのエピソードを話され、テレビの画面からエールをもらう

そして高倉 健さんが亡くなる一週間前に、何故かしら急に健さんのことが気になりネットで検索してみる

そこで目にした一枚の写真・・・・・ 

高倉 健さんが亡くなる1週間前に

私に届いた健さんからのメッセージ

2015年5月10日に東洋と西洋の孤高の男 二人が残していってくれた世界を救う岩戸開きへのメッセージを配信しました

本音で語るブロガー

ミル★ヤタガラスを宜しく

何故 私がその世界を救う奥の院のシナリオを知ることが出来たのかは2015年2月25日より連載しております、俺とシュワルツネッガーの30年『ターミネーター』物語 全23話を読んで下さい

間もなくニコラ・テスラのフリーエネルギー社会がやって来ます 全人類は、それに備えて準備をして下さい!!!

尚 煩悩くんフルスロットルのヤッズさん以外

ブログから記事中の文章等をそのまま無断転載するのは堅くお断りします。よろしくお願いします

カテゴリ

俺とシュワルツネッガーの30年 『 ターミネーター 』物語 第14話 『 イレイザー 消去されるアーノルドのパワー 』

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御婆ちゃんが96年に入って直ぐに意識不明で倒れ

その後しばらくして意識を取り戻したものの寝たきりとなって

しまったのですが、比較的 安定した容態が春頃から

続きましたので、アーノルドの新作が2年ぶりに公開されるので

チャンスがあれば、それに合わせてサンタモニカに行く準備を

しておりました。

日本語のWiki には全米公開が6月11日で

日本が8月3日になっていますが

全米が6月21日が正しいです

そしてそれを逆算して確かサンタモニカへ行ったのが

6月16日(日)から23日(日)ぐらいだったと思います

本当はそれ以上に長く行きたかったのですが

96年はそれがいっぱいのスケジュールでした。

一緒に行ったのは、バイトで知り合った小杉くんの

友達のM君です

僕より年下ですが、前年の失敗を踏まえ

気が合った仲間と行く方がやはり良いでしょう。

M君は、海外旅行は初でした

L.Aに着いて直ぐに街で日曜日版の新聞を

購入しましたが、エンターテイメント情報には

どこも『 イレイザー 』のニュースがありません

ワールドジムにも当然 二人で毎日通いました

しかしアーノルドの姿もありません

シャッチにも毎日通いました

しかしシャッチの駐車場にも、アーノルドの車は

止まっていません。

アーノルドの家にも毎日偵察に行きましたが

遭遇出来ませんでした。

俺は焦っていました。

前年の95年はアーノルドには会っていませんし

94年の春にシャッチの駐車場でハマーに乗った時に

写真を撮る時に交わした、言葉と『トゥルー・ライズ』での

2度の握手程度で終わっており、まともな会話は

93年の『ラスト・アクション・ヒーロー』の旅行から

していないからです

いつ政界へアーノルドが行くかもわからないのですから

最後にアーノルドとの友情の証を、この旅では

用意しておりました。

それを直接 俺は渡したかったのです

いったい今年は、いつどこで『イレイザー』のプレミア試写会を

行うんだ?今年はニューヨークで行ったのか?

俺たちは何も手がかりのないまま6月21日(金)

の『イレイザー』の公開日を迎えてしまったのです

俺たちが映画を観に行った場所は、あの想い出の

ウエストウッドのヴィレッジ・シアターです

夜の上映1回目でした

英語のわからないM君でも映像だけで物語が

わかる程度で良かったです。彼も大興奮でしたし

観客たちも映画の出来には満足しておりました

特に歌手のヴァネッサ・ウイリアムスの演技の評価は

映画が終わった瞬間から、周りの人々が

『 いい演技だった 』 と声が出て来るのが

やはりアメリカです

僕の『イレイザー』への評価ですが、甘く言って

80点ギリギリだったと思います

いや 本当は中盤までは90点を越える感じでした。

しかし 最後の最後で大きな失敗を監督の

チャック・ラッセルが犯してしまったのです

それはヴァネッサが証人として裁判所から

アーノルドと一緒に出てきてから二人で



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乗り込んだバンに爆弾が仕掛けられて

大破をしたまでは良かったのです

が、しかし ここで小学生レベルの

ネタバレをラッセル監督が直ぐに見せるのです

俺は信じられませんでした

その前にジュームス・カーンは

『 彼女は証言できんよ 』 と


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意味ありげなセリフを言った後でしたので

大破したバンは、彼らによって消されたと思ったからです


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しかし 直ぐに燃えるバンの下にあるマンホールの

蓋を閉めて逃げる手が映し出すのですから




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もう今起こった爆破へのスリルもあったもんじゃありません

何故 あのシーンを付け加えたのかが俺には理解出来ません

あのお陰で、その後のリムジンに閉じ込められて

列車に衝突されて死ぬシーンが全くの意味のないものに

なってしまいました。

ワーナーの幹部たちとの試写にて、何故

あのシーンをカットした方が良いとの意見が出なかったのでしょうか?

その為 並みのサスペンス・アクション映画で終わったのです

最後の1番重要なドンデン返しの場面で

非常にもったいない雑な編集に、俺は落胆しました

多分 あのシーンを入れたせいで、星1個分の評価を

失ったと俺は思いまます。

アーノルドと、この旅行で会えないことの

フラストレーションもあるかも知れませんが

『イレイザー』への評価は、普通に採点すれば

70点ぐらいです

85点くらいにはいけたのに、非常に残念でなりません

そして日本へ帰国する2日前の22日(土)の朝

ワールドジムへ行きましたが、二人で粘って

いたのですが、全くアーノルドが来る気配がしません

この間に会えたのはアーノルド行きつけの

『パトリックス・ロードハウス』にて『ゴリラ』で共演している

ロバート・デヴィぐらいです


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★今は亡きオーナーと
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何か俺とアーノルドのサイクルが合っていないのを

感じていました

当然 ワールドジムに来ているメンバーにも

アーノルドが今週ジムにトレーニングをしに

来ていましたか?とは聞いていましたが

来ていないとの事です

あのジョー・ゴールドさんも

『 来るはずだと思うけど・・・ 』と

せっかく日本からアーノルドに会いに来ている俺に

がっかりさせないように言って下さっていましたが

23日(日)のお昼の飛行機で帰る俺には

その日がタイムリミットでした。

もう これはアーノルドの父親でもある

ジョー・ゴールドさんに託すしかないと・・・

俺は1年前の95年に、ジョー・ゴールドさんに

一番好きな色は何色ですか?

と質問をしていて

『 ブルー 』

と教えていただいており

『 あなたの為の 特別のものを作っておりますので

楽しみにしていて下さい 』と

俺は伝えておりました

それは、この世に3つしかない

ワールド・ジムのペンダント・トップであります

俺はジョー・ゴールドさんへ

『 去年来た時に約束を覚えてられますか?

これが プレゼントです 』 と言って渡しました

『 WOW  ビューティフル!!!』

『 これはハンドメイドです 

ゴリラを、あなたの好きなブルーにして

地球の海をサファイアとブルーダイアモンドを使い

後 ワールド・ジムのロゴをプラチナメッキで仕上げました』



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『 ありがとう 凄く嬉しいよ 』

『 あなたの名前はゴールドさんですから

 本物のゴールドで作りました 』

『  ハハハ ありがとう !! 』

それを手にしたジョー・ゴールドさんは

直ぐに首にかけて下さり、とても気に入って下さりました

もちろん僕が作ったのではありません

あのハルク・ホーガンの元ボディガードの

ビリーさんがアクセサリーを作る趣味があり

彼が個人用にワールド・ジムのロゴの模りをして

そこの本物のゴールドを流し込み、作っておられたのを

酒井くんも頼んで同じものを作ってもらったのでした。

俺もそれを作ってくれないかとビリーさんに頼み

確か1個5万円で依頼したと思います

しかし 表面が同じゴールドだとワールド・ジムの

ロゴが目立たなかった為に、俺は更に

グレードの高い仕上げにする事を考えていました

だって、アーノルドとジョー・ゴールドさんほどの

人が手にして、素晴らしいと思える出来にしないと

ダメだと思っていましたからね。

そこに I'll be back ツアーでであった Mちゃんと

同室だったA子ちゃんが、元宝石商だったので

彼女に僕のアイデアを伝えました

ゴリラが乗っている地球の海の部分を

凹みに宝石を埋め込みすることが可能ですか?

というものです

さすがはプロの人です

それが可能となって、俺は三人分の宝石を

京都で探し、それをA子ちゃんに送って

加工してもらったのです

更にそこにA子ちゃんのアイデアでプラチナ・メッキ

加工がほどこされ、素晴らしい出来になりました。

そして最後に自分自身でゴリラの色を、ジョー・ゴールドさんの

好きなブルーと、アーノルドの好きなパープル

そして俺もアーノルドと同じパープルに色付けして、

その上に何度もニスを塗って仕上げました。

僕自身もビリーさんから作ってもらったものが

ここまで完成度の高いものになった事に驚きました

ただ 僕のものだけを一番出来の悪いもの使用し

二人には完璧なペンダント・トップを用意しました

そしてペンダントを気に入って下さいました


ジョー・ゴールドさんに、僕から会えなかった

アーノルドの分を預かってジョーさんから

アーノルドが来た時に渡してもらえませんか

というお願いをしたのです

ゴールドさんは

『 O.K わかったよ アーノルドが来たら

渡してあげるね 』

と言って下さり、俺はアーノルドへのペンダント・トップを

預けました。

俺とM君は、その日のシャッチの駐車場をチェックするも

アーノルドが来ている気配がないまま

また『パトリックス・ローズハウス』へ

定番のステーキ&エッグスを食べに行き

食後 アーノルドの家に再びチェックをしに行きました

家の前の私道を走って家の前をチャックしてから

再び戻って公道に戻って、しばらく走った時です

ベージュ色のハマーは反対車線を走って来ました

日差しの関係で誰が運転しているかはわからなかったの

ですが、この近辺で走っているハマーはアーノルド

以外には考えられず、僕たちは

『 今のは アーニーちゃうんか? 』と

興奮してUターンしました

ハマーがアーノルドの家の私道には入っていかなかったのですが

そのまま海岸線のパシッフィック・コースト・ハイウェイに

向かったことを確認出来て、俺たちは

シャッチへ行くかも知れないと勘だけを頼りに

見えなくなったアーノルドのハマーを追っかけました

そして その予想は的中したのです

既にテーブルには、友人たちと一緒に食事をしている

アーノルドがいました

僕たちも真横のテーブルに座りました

こうしてシャッチでアーノルドの隣で食事をするのも

3年ぶりです

そんな友人たちと仲良く食事に行っている時には

最低限のマナーとして、食事中には

絶対に声をかけてはいけないことです

しかし 観光客なのか、知り合いなのかは

わかりませんでしたが、食事をしている

アーノルドに声をかけた奴がいました。

アーノルドの表情が、

見る見るうちに悪くなっていくのが

側にいた俺にはわかりました

僕は、食事を終えてアーノルドが席を立つまで

絶対に声をかけない事にM君にも言っておりましたし

彼もそれは理解しておりました

途中 俺がトイレに行って用を足し終える時です

後ろのドアが開くのがわかりました

入ってきたのはアーノルドです

予期せぬ出来事にワタスのシ●ウス海●体が

海中から獲りだされたナマコみたいになってしまいますた

『 はい ! 』

『 はい 』

トイレの中で響き渡るアーノルドの低い声に

さっきまで真横のテーブルに座って見ていた

俺とは別人の緊張感が走る!!

そこで 

『 はい アーノルド 元気? また 会えて嬉しいです 』

なんて声をかけるべき場所ではない事は

紳士の掟であります

実は92年のコロンバスへ向かう前に

ロサンゼルスに最初寄ったのが

ホストファミリーの長男のクリスがロスで暮らしていたので

彼に会う為でもあったのです

そのクリスと再会した夜に二人でウエストウッドで

食事をした時に、そのレストランのトイレで

あの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出ていた

教頭役のジェームズ・トールカンに出会った興奮して

話しかけ、握手をしたことがあったのですが

やはり あの場では握手とか話しかけることは

まずいでしょうね







それでもジェームズ・トールカンさんは

とても感じの良い方でしたね

まぁ あの方が、俺がアメリカに来て最初に出会った

有名人だったので、未来の俺の姿を暗示させる

出会いだったのではと思いますが・・・・(笑)







席に戻ってきた俺は、多分 もうアーノルドの食事は

終わりに近いだろうと感じた




その予感通りアーノルドが仲間と別れを言って

席を立ったのを確認して、俺たちのいる方に歩いて来る

アーノルドに声をかけました。

最初に記念写真を撮らせてもらった後に

『 アーノルド このペンダントを

あたなの為に作りました

Mr ジョー・ゴールドさんに、あなたのものを

預けておきました 』

『 君にはいつも感謝しているよ

ありがとう 』

『 いいえ どういたしまして 』

本当は、明日日本に帰る日曜日まで

俺がペンダントを持っておいて、アーノルドに

直接渡してせれば良かったとは思うのだが

こうして帰国ギリギリで会えただけ良かったと思った。




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これは後でわかったのですが

『イレイザー』のプレミア試写会は11日に

チャイニーズ・シアターにて行われていたのでした

公開週末3日間で1位になった後も、2週目2位

3週目5位と制作費1億ドルで全米でけで1億ドル超えの

ヒットとなったので、アーノルドとしても満足はしているとは思う

R指定作品としては96年で7番目の成績だし

世界興行でも$2億4229万ドルで96年の10位のヒットだったからね

多分 プレミア試写会後も、ワールドジムには

来れないほど忙しかったのだろう

それにこの時期には既に11月公開の

『ジングル・オール・ザ・ウェイ』の撮影に入っていたと思う




俺はとりあえず目的を果たせたので、翌日

空港に行く前に、再び 朝 ワールドジムへ行き

ジョー・ゴールドさんに会えたので

昨日 あの後にシャッチでアーノルドに会えて

ペンダントをゴールドさんに預かってもらっていますと

伝えたことを話しておき、帰国したのでした。

そして次の段階です

『イレイザー』の日本公開が8月3日でしたので

再び日本来日を逆算しての・・・・・・・・




俺は絶対に ターゲットを逃さないマシーン






ロックオンした獲物は








必ず探し出す















『 はい 104の番号案内です 』

『 東京のワーナー・ブラザース映画をお願いします 』

『 ワーナー エンターテイメント ジャパンでお届けがありますが

そちらでよろしいでしょうか? 』

『 はい 』

『 では番号をご案内します

 03-5●●2-7●●1  』




ガチャン











【 音声  業界人風 関西人 50歳 】












『 はい ワーナー エンターテイメント ジャパン です 』

『 どうも 関西●ゥーカー編集部の●●です

いつもお世話になっております 』

『 あっ こちらこそ お世話になっております 』

『 あのですね 今度のシュワルツネッガーの映画

イレイザーの取材を担当していた者が

中国に取材へ行っている最中に病気にかかってしまって

現地の病院に入院したままになったんですが

全部 彼にイレイザーの取材も任せたままに

していたもんで、代わりに今度 うちから行かせる者の為に

再度 来日スケジュールの詳細を

ファックスで送っていただけますでしょうかね? 』

『  はい わかりました 』

『 実は今 車の移動中でして、この車に

ファックスもありますので、その番号に送ってもらえますか? 』

『 あっ そうですか?  では番号をお願いいたします 』

『 ●●●-3●●1-2●●0 です 宜しくお願いいたします 』

『 はい かしこまりました では直ぐに送ります 』




ガチャン




場所、日時 はわかった




いつもはホテル・オークラか、帝国ホテルだったのに

新宿のパーク・ハイアットになっていた



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実は8月3日公開だったのに来日記者会見の日は

8月5日だったのだ

これもおそらく『ジングル・オール・ザ・ウェイ』の

撮影が関係していたのではないかと思う

日本がアメリカに次いで2番目に重要な

マーケットであった時代ですので、日本の公開日前に

来れなかったのですから、ビジネスマンの

アーノルドであれば、撮影が関係していなければ

絶対に公開前に来ていたはずですので・・・

俺は4日にパークハイアットに、あのペンダントの

加工をしてくれた御礼にA子ちゃんを食事に誘った

5日の記者会見はお昼からだったので、その日の

来日は絶対にない

だから4日には絶対にホテルにはいるはずである

そうなれば、初のパーク・ハイアットホテルで関係者と

食事をするはずである

94年の7月に出来たパーク・ハイアットは、あの時の

もっともホットなホテルであった。

あの上階のニューヨーク・グリルからの見晴らしを

アーノルドに楽しんでもらいたいというワーナー側の

意図を俺は察知していた

その為にA子ちゃんと夜にニューヨーク・グリルに行った時に、







『 スミマセンが、

今夜 ワーナージャパンで予約が入っていますでしょうか?』

『 はい ご予約が入っておりますが・・・ 』

このように

ちょいと確認を受付ですればわかるのである

俺たちは2時間くらい食事で粘った

そしてようやく置くにある長いテーブル席に

関係者が来た

しかしそこから1時間くらい待ってもアーノルドが来ない

もう夜の10時 俺はしびれを切らして

入り口へ向かった

と その時である

後ろのエレベーターの扉が開いたら

アーノルドが降りてきたのだ

お互い驚いて声が出なかった

アーノルドは直ぐに関係者がいるテーブルへ向かったので

あの時に俺の顔を確認出来ていたのかは

全くわからない

あの薄暗い雰囲気を出しているレストランだし

多くの日本人がいると、今度は俺だと一瞬で見極めるのも

難しいかもしれない・・・

ただようやく3時間以上待って、アーノルドはやって来た

えらく眺めを気に入ったようで、モザイク画が見える

ポジションに席を変えて食事を始めました。

途中 アーノルドが来ているに気がついた一般人がいたが

関係者がガードをして誰も近寄れない

俺たちのテーブルからも10メートルはある場所だった。

ここで俺たちは、アーノルドの目が老眼が進んでいるのを知る事となる

途中 何やら書類に目を通す時に、もの凄く見づらいように

メガネを出して見ていたのを確認したのです

A子ちゃんはオーストリアのグラーツまで行ったほどの

アーノルドのファンであります

しかし一度もアーノルドに会った事がなくて

かなり興奮をしていました

俺たちは、アーノルドの食事を1時間ほど眺めてから

ホテルの受付がある前の廊下でアーノルドが帰って来るのを

待つことにしました。

もう11時を過ぎていました。

俺たちが座っていた椅子には、70近いおばさんもいました

聞くとアーノルドの為に呼ばれているマッサージ師の

おばさんのようです

日本のマッサージは欧米のマッサージと違い

ツボを押すのでハリウッド・スター達にも人気があります

俺はアーノルドがやって来ても、写真などのリクエストを

しないでおこうと思っていました

何故なら、ここでそれをやってしまうと

警備の強化に繋がり明日の記者会見場への

侵入が難しくなります

あくまでも俺が手にしているファックスは詳細が

書かれているだけのものであり、プレスIDがあるわけでは

ないのであります

待つこと30分ほどでアーノルドが、もう一人 外人と一緒に

話をしながらやって来ました

目の前をアーノルドは通りましたが、話をしている為に

俺がいることには全く気がつかずに歩いて行きました

A子ちゃんも間近で見るアーノルドに満足してもらえたようです

最終電車の時間もあるのでA子ちゃんは直ぐに

ホテルを出て、俺は直ぐ近くのビジネスホテルで泊まりました

本当なら東京の親戚の家で泊まってもいいのですが

やはり地の利が一番です

明日の朝早くから記者会見場に行く事が重要で

場所を良く見て、その場の空気に自分の慣らしてから

行動に移さないといけません

どんな格好で行ったかって?

アメリカで手に入れた『イレイザー』のT シャツを

半袖シャツの上に着て行きましたよ

下はスラックスのズボンで

それに今回は俺は親父の一眼レフカメラを

首からかけていましたので


もう 関係者でいるような錯覚をまず演出し、

周りに『イレイザー』の為に来ている人だと認知させていました




そして朝早くから記者会見場の前に並んでいて正解でしたね

閉められた扉の前にはカメラマンたちが50人くらい集まって

イライラしだしていたのです

その中の一人が

『 先に一度 中に入らせてカメラのセットをさせてくれよ 』と

ワーナーの人達へ言ったのでした

それを聞いて

何のチェックもなしに・・・・・




? はい ? え? まぁ まぁ  




2015年 流行語大賞に間違いないでしょうって?




そう言った意見は、もう 結構 あきこちで聞きますね




うん 耳にオクトパスかも知れませんが・・・・




『 入ったぁぁ    どぉぉぉぉぉ~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』


★では会場内でずっと流れていましたヴァネッサの『イレイザー』の主題歌を再生しながら読んでいって下さい!!



扉は開き カメラマン達の場所取りが一斉に

始まり、俺は当然 最前列のど真ん中の席を確保しました

その場所を確保してから、今度は一番前の席に

座っていれば目立つので、後ろでテレビカメラを

セッティングしている人達の側でウロウロしながら

スタッフの用に動き回り、怪しまれないように

時間をつぶしていました。

途中 一時 退散して受付をして下さいと声が

かかりましたが、外へ出てしまうと終わりです

中には本当にカメラのセッティングに追われている

スタッフがいるので、俺もしゃがみこんだりして

受付を終了して、会場に人が溢れるのを待ちました

そして会場が人で埋まって来ると

今度はタイミングを見て、受付作業をしている

人の真後ろから

『 スミマセン もう一枚 シールを下さい 』

と言って プレスシールをゲット!!!



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このシールを胸に貼れば、もう部屋の出入りは自由です

一応 フリードリンクだったし、宣材用に

映画の主題歌を歌っているヴァネッサ・ウイリアムスの

CDも配られたりしていました

そして司会者が襟川クロ

I'll be back ツアーで一緒だった彼女が再び登場







彼女とも一緒に写真を撮った時に、昔 地元京都の

KBS放送で『 クロのFANFAN リクエスト 』を

楽しみに観ていた事を伝えていたんだよね




そして司会の挨拶でアーノルドとチャック・ラッセル監督

『逃亡者』『セブン』とヒット作を連発していた

プロデューサーのアーノルド・コペルソンさんの3人だった

もちろん通訳は独占禁止法を無視する女です









いつも通り 最初にフォトセッションがありました


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質疑応答が始まり、5人目ぐらいに壁際にいた

小峯隆生さんが手を上げて

『 今回ですね プロデューサーさんと 監督さんと

シュワルツネッガーさんに聞きたいんですけど

例えば映画を作り前にシュワルツネッガーさんの

出た映画を全て観て、今回 敵を300人殺して

車を30台ぶっ壊して、家を10戸ぐらいぶっ潰す

数字にこだわってらっしゃるというように

でも例えばエンターテイメントだから150以上殺すのは

止めようとか、その辺のアクション上 殺す

人間の数と、ぶっ壊すビルの数を決められていたとかは

あるのでしょうか? 』と軽いジョーダンと会場を盛り上げる

意味を込めて質問したのが、監督にもプロデューサーにも

真面目に返事をされて、アーノルドからの返事がないまま

終了をしてしまい、すかさず

『 クリント・イーストウッドと共演して

マディソン郡の橋を爆破する映画はどうでしょうかね? 』と

小峯さんが質問をすると、アーノルドから

『 You are so funny !!!  』と

ターミネーターの睨み顔をされて会場の笑いを誘われていました。

俺はずっとビデオカメラを回して撮影していたのですが

30分を過ぎた頃に、

司会のクロさんが、ではそろそろ最後に質問に・・・と

指名された女性が

『 先日の8月3日に映画が公開になった時に

渋谷の映画館で異臭騒ぎがあったことに対して

どう思われますか? 』などと質問をしてしまい

そんな話を知っているはずがないアーノルドは

『 その出来事は知らないなぁ 』 と答え

『 他に質問ない?  』 と続けて言ったので

ラストのラストで・・・

『 アーノルド・コペルソンさんと、

アーノルド・シュワルツネッガーさんの

ダブル・アーノルドさんへの質問なんですが

先日のアトランタ・オリンピックでテロ騒動がありましたが

実は今度の冬季オリンピックが日本の長野であるのですが

その長野オリンピックを舞台にシュワルツネッガーさんが

テロからオリンピックを救うような映画をコペルソンさんは

製作してみたい気がありますか? 』

『 またシュワルツネッガーさんは大変スキーが上手だそうで

プロ並だと聞いておりますが、その映画でシュワルツネッガーさんの

役は、かつての金メダリストの役で、長野にはコーチとして

やってきているのですが、その時にシュワルツネッガーさんが

テロをやっつけて長野オリンピックを救うような脚本がありましたら

演じてみたいっですか?』と

俺が最前列のど真ん中の席を立って質問をしてしまったのです

当然 これには勇気がいりました

アーノルドからすれば、何でお前が質問しているんだ?

ともなりかねないし、日本人の報道関係も

見慣れない若造だけど、誰だ? こいつ? ともなるし

小峯さんも会場にいる場所で俺が質問していれば

あれれ? あいつは 2年前の・・・・

と気がつかれるかも知れないからだ・・・

俺も席を立ってマイクを持って質問している時に

ほとんど何も考えずに、勢いだけで質問しているので

シドロモドロぎみに声を出しているし、気が動転している

感じだったのだが、ビデオの映像を見返してみると

確かにアーノルドの顔は驚いていた!!




最初に質問に答えてくれたのは

コペルソンさんです

『 あのそれはけっこういい考えかも知れませんけど

どうも僕が感じるにテロリズムというのは、大変真面目な、

そしてみんなが真剣に取り組まなければいけない題材だと

思います ですからやっぱり映画にするには適しない

なのでシュワルツネッガー氏が主演しても適さないと思います 』




このコペルソンさんの回答で俺が提案した

テロリストを敵にする映画は不適切となった為に

回答を準備していたアーノルドも答えずじまいで

全部の来日記者会見は終了したのであります

その閉めのコメントを司会のクロさんが言っている最中に

アーノルドが俺に

質問に答えて上げられなくて御免よって顔を

俺の目を見て眉毛を上下に大きく動かし合図をしてくれました。

俺はステージから消えたアーノルドのテーブルに直ぐに向かい

アーノルドが吸っていた葉巻の残りをお土産に持ち

帰ったのだが、今日の質問はギリギリの挑戦だったと思う

この記者会見が終わって、俺も調子に乗って

帰り際にクロさんに






『 どうも 2年前のトゥルーライズのツアーで一緒でしたね 』

なんて声をかけたら

『 あら そうだったの? ところであなたはどこの方ですか?

皆で言っていたのよ いつもここにいる人達の顔じゃないから

どこの人かって・・・ お名刺いただけますか? 』

『 あっそうですか 私は●●っていう雑誌の●●ですが

ちょっと待って下さいね・・・・

名刺・・・・  あっ 今日の受付で渡して

無くなったようですね スミマセン・・・ 』

と言って その場を去って行ったのです(笑)







俺もついつい 質問の少ないコペルソンなんかの事を

気にせずに放って置いて、

アーノルドだけに質問しておけば良かったのです


俺とアーノルドが、いつも 後 もう一歩で

噛み合いません。

さて、ここからが問題です


アーノルドが何故 

絶頂期であった95年に1本も映画に出演していなかったのか?

この辺りも木星人の慎重過ぎる性格の表れだと僕は思っています

『ターミネーター2』は91年の映画で、その後 2年空けて

93年の『ラスト・アクション・ヒーロー』

94年の『デーヴ』は友情出演程度 

そして同じ94年の『 トゥルー・ライズ 』から2年また空けて

この96年の『イレイザー』です

しかし ここには木星人の真面目で慎重な性格だけでない

アーノルドの【 神 】ではない 【 王 】としての悪い性格が

全面的に出ていることを多くの方は知りません。

満を持して公開をした『ラスト・アクション・ヒーロー』は

歴史的な大ヒットとなった『ジュラシック・パーク』の前に

大敗を期しました。

そしてキャメロンとのタッグで挑んだ『トゥルーライズ』は

世界的な大ヒットであったのですが、それはアーノルドが

当初描いていたほどの大ヒットではなかったのです

全米公開の週末でこそ1位にはなりましたが

翌週は『トゥルーライズ』より9日前に公開になっていた

『フォレスト・ガンプ』が再び1位に返り咲き、『トゥルーライズ』は

2位になったのです










結局 94年の全米1位作品はこの『フォレス・ガンプで』

全米で$3億2969万ドル 世界で$6億7794万ドル

全米2位作品が『 ライオン・キング 』で

アメリカでは$3億1285万ドル 世界で$9億8748万ドル

『トゥルー・ライズ』は94年の北米で3位ではありますが

全米で$1億4628万ドル 世界では3億7888万ドルの興行成績でした

R指定の映画としては94年の1位の興行成績だったものの

制作費が1億2000万ドルでしたし『ターミネーター2』は

世界で5億1984万ドルを稼いだだけなく、R指定作品でありながら

91年の全米1位と世界興行での1位の作品になっています

その成績と比べれば、キャメロンとタッグを組んだ

『トゥルー・ライズ』の結果にアーノルドが満足したはずがありません

それもそのはずです

94年の映画界で話題はアカデミー賞13部門ノミネートで

作品賞を含む6部門で受賞した『フォレスト・ガンプ』一色で

終わったのですから・・・・





何故 アクション映画の『 トゥルーライズ 』と

ヒューマン・ドラマの名作『フォレスト・ガンプ』を比べなければ

ならないのか?

それは『フォレスト・ガンプ』はアーノルドへの企画だったからです






この事実を多くの方は知りません。

監督のロバート・ゼメキスは、知能指数が低く、イジメられっ子だった

フォレストが、高校ではアメフトで活躍し、ベトナム戦争では

上官を助ける大活躍をする真面目な性格をフォレストを

『ツインズ』で見せたアーノルドのジュリアス役を見て

フォレスト・ガンプ役に相応しいとして最初にオファーをしていたのだ

しかし 何故 アーノルドがオファーを断ったのか不明だ。

もちろん 絶対的なキャメロンとの新作映画の方が成功出来ると

思って、断ったのだと俺は思う。

この悔しさと言ったらないでしょう

それに興行成績でも倍以上の差をつけられたのですから






アーノルドに代わってオファーが来たトム・ハンクスは

この役で見事2年連続のアカデミー賞主演男優賞まで

獲得したのですからね

俺も、あんなガリガリの兵隊が、仲間を担いで

戦場を走り回るシーンは、アーノルドの方が

絶対に似合っていたと思うし、フォレスト・ガンプの

超人的な活躍と『ツインズ』で見せたコミカルな演技は、

トム・ハンクスより画的にもハマっていただろうと俺は思っている。

そして、その悔しさの中で公開された『ジュニア』が

大コケをしてしまったのですから・・・・




『ジュニア』の成績は

全米公開4位

94年公開作品で40位 の$3676万ドル

世界では23位の$1億843万ドル

制作費6000万ドル


そして95年を丸一年捨てて、挑んだのが『イレイザー』と

『ジングル・オール・ザ・ウェイ』です

『イレイザー』の評価と興行成績はお伝えした通りです

問題なのは『ジングル・オール・ザ・ウェイ』です











ここにアーノルドの【 神 】にはなれない【 王 】としての

歪んだ性格が表れます

それは映画の中で自分の妻役に、トム・ハンクスの妻である

リタ・ウィルソンを起用したのです

それまでのリタ・ウィルソンは女優として成功しておらず

トム・ハンクスの嫁として有名人でしかありませんでしたが

アーノルドは何を思ったのか、トムの嫁を映画に大抜擢をし

ラブラブの夫婦役を演じさせたのです



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★コメディではありますが、この頃のアーノルドの心情を表すかのように、物語は他人のプレゼントを盗んだり、蹴落としたりします


これは単なるプロデューサーやデレクター、監督とかの

意見で彼女が抜擢されたとは僕は思えません

トム・ハンクスの成功への妬みだと僕は思っております

こうなると、アーノルドがいくら努力家であっても

絶対に生命の樹を正しく登れるはずがありません

妬み、恨みの、嫉妬、憎悪の感情は、凶数のある

アーノルドの名前のパワーを含め負のサイクルへ一気に

スイッチが入ります

この映画のポスター公開された時に、アーノルドの

伸ばした右手の手相がアップになって







それを見た、ある有名な占い師が生命線が切れているので

『 アーノルドは早死にをする 』と発言してニュースにも

なりました。

映画は96年11月22日に全米で公開され

初登場で4位と低迷

全米で96年の22位の作品となる

$6059万ドル

世界では96年の24位の$1億2983万ドル

制作費$6000万ドルの成績でした























僕は『イレイザー』での来日記者会見で、アーノルドの

頭髪が薄くなりだして来ているのにも気がついていました

長年 ステロイドを使用しているアーノルドだけが

薄毛にならないのを不思議に思っていましたが

『トゥルーライズ』から2年ぶりに見たアーノルドは

確実に前頭部の髪が薄くなり始めていたのを

アップで撮影していたので、良くわかります

それまでアーノルドはボディシェイプがいいと

気持ちが良いんだよとメディアの前では何度も

発言しているように、一度抜け毛を気になると

アーノルドであっても、気にしないはずはありません

トム・ハンクスへの嫉妬と、抜け毛、91年以降

No.1の座になれていないもどかしさ

色々な感情が混ざりだしていたのです

あの最低の映画に贈られる『ゴールデン・ラズベリー賞』ですが

93年には『ラスト・アクション・ヒーロー』が最低作品賞でノミネート最低監督賞にジョン・マクティアナンがノミネート

最低主演男優賞にアーノルドがノミネート

最低新人賞にオースティン・オブライエンにノミネート




94年の『ジュニア』は興行的にも作品的にも酷評され

96年の『ジングル・オール・ザ・ウェイ』では

再び最低監督賞にブライアン・レヴァントがノミネート




ボディビル時代と同じようには映画では上手くはいかないのです

木星人の悪いところは、何でも1流を好むところです

1流の監督、1流のプロデューサーを集めても

映画のという芸術作品が傑作が出来るのではありません

84年の『ターミネーター』を作ったキャメロンが

あの時に1流であったでしょうか?

91年の『ターミネーター2』が満塁ホームランだったとすれば

『ラスト・アクション・ヒーロー』は満塁でのチャンスので併殺打

『トゥルーライズ』は2ラン・ホームラン

『ジュニア』はピッチャーフライ

『イレイザー』は3塁打をミスで2塁打にしてしまった

『ジングル・オール・ザ・ウェイ』はピッチャーの

打てない球にむかついて、乱闘になって退場処分




これがアーノルドの5年間の成績だと俺は思います

『ターミネーター2』までのアーノルドの勢いが

全くありません

明らかにホームランを狙い過ぎて、打席での

スイングが可笑しくなっているのです




そして、『ジングル・オール・ザ・ウェイ』で退場処分

になったアーノルドが、腹を立てて

ダッグアウトに消えた後に、

メジャーから消えることをしでかしたのです





それはちょうど『ジングル・オール・ザ・ウェイ』が

全米で公開された1ヵ月後の96年の12月

15日~31日頃のクリスマス・ホリデーでした




家政婦であったミルドレッド・バエナをアーノルドが手を

出して妊娠させてしまったのです

場所はアーノルドの自宅だと思われます

それもマリアとアーノルドのベットで・・・








私は第13話で書いていますように、この世には

目に見えないパワーが存在しており、アーノルドの

実子でありながら、戸籍上は違う名前で偽ることになるのですが

自らジーザス・クライストのように何千年も語り継がれるような

人物になりたいと言っていた夢と、パワーを失うこととなったのです

家族には隠しとうせていても、神はアーノルドの行為を

全部 お見通しです

ジョセフが生まれたのは翌97年の10月2日です


アーノルドの次男であるクリストファーが生まれたのが

97年9月27日であって、その5日後にジョセフが生まれたのでした








ジョセフが生まれた後も、バエナを家政婦で使用していたのですから

アーノルドの心中は、それ以降 正しくあったはずがありません

同じ屋根の下に、自分の愛人と、ジョセフがあり、4人の子供と

妻がいるのです

隠そうとすればするほど、泥沼に嵌り、

ビジネスでも手を出してはいけない方の選択をする悪いサイクルが止まりません

もちろん私もそんな事実を知らずに、

アーノルドを追っかけていたのですからね

そしてあの人の発明品を本物だと信じて、

行動をしていなのですから・・・・




★イレイザーの為に友人のジェイのトゥナイト・ショーに出演
これは当時モーテルにて観ておりました

029 (640x480)
★『 パトリックス・ローズハウス 』にはアーノルドのプライベート写真が何枚も飾ってあります


★メイキング


次回 第15話 『 ミスターフリーズを笑わせろ!!』 



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ミル★ヤタガラス
ミル★ヤタガラス
I am #1 Arnold Schwarzenegger Fan & #1 Steve McQueen Fan in The World
元東京エムケイ・タクシーのNo.1ドライバーから業界初 L.A営業所に主任として勤務
世界初6月6日公開のディズニー映画『トゥモローランド』に隠されたニコラ・テスラのフリーエネルギー社会が到来する謎解きに成功
スティーブ・マックィーンとアーノルド・シュワルツネッガーの二人を究極に愛した私は1990年より世界を救う活動を開始。 愛と平和と英知の正しいのトゥモローランドの作り方を教える情報ブログ

幼少期 病弱な母親が目の前で何度も発作を起こしたり
治療の為 離れ離れで暮らして育つなどをした為、愛情に飢えた私は次第にマックィーンが好きになる

1984年9月 多感な思春期に好きだった女の子が不遇な事件に遇い、何もかも嫌になりマックィーンに憧れアメリカへ留学をする

しかし帰国後も事件を起こした人物への復讐心は止まらず、私の憎悪は肥大をしていった

その事件から5年間のストレスが原因か、21歳の時に突如 狭心症となった私に聴こえた
『  大丈夫 シュワルツネッガーとあなたが世界を救うから 』 という

不思議な声・・・・

復讐心を棄ててその声に従い行動するも1年後になんと拘置所へ3カ月間収監されてしまうことに・・・・

出所後もその声に従いシュワルツネッガーと一緒に世界を救う活動が出来るように行動を続け、数々の信じられないアーノルドとのエピソードを作る

また高倉 健さんと京都で会うことができた後、30歳になる前に上京


そして全ての過去を棄てるべく、戸籍から改名をし人生の再出発

改名後 トントン拍子で営業成績がアップ 6年連続で年末度トップの営業マンになる

2006年にアメリカでスティーブ マックィーンの未亡人であるバーバラ・ミンティさんやマーシャル・テリルさん、2007年にブルース・リーやチャック・ノリスの親友でありマックィーンの空手の指導者だったパット・ジョンソンさんらと出会い

来日された時は私がガイドとなって一緒に国内旅行をする事になり親交を深める

3・11後の私を心配して下さり、L.Aの営業所へ私が働けるようにバーバラさんとマーシャルさんが会社の社長へ推薦状を書いて下さり

1年後 業界初 主任扱いでL.A勤務をしましたが

グリーンカードの取得が出来ず、短期滞在で、ほどなく帰国

また健さんの映画に出演する、たけしさん、志村けんさん、岡村隆史さんの3人の大物芸人との不思議な交流も体験しました。

高校時代から今までに3度の不思議な予知体験をした事で、目に見えない世界を信じることが出来る私ですが

交際2年半を経てバーバラさん、マーシャルさん、パットさん夫妻がお祝いの準備をしている直前、2014年の年初に結婚詐欺に遇う。

気力でそれを乗り越えようとしている時にヤフーニュースで知った話題を元に検索していくと、なんと私の人生が狂い出した84年の事件の被害者3人の中の1人が、今度は加害者と同じ立場の人間となって、そのダンナが起こしたイジメが原因で、ある子供が自殺をする全国的になった大ニュースを知る。

しかもその妻は謝罪することもなくダンナの行為を擁護している事を知り、私の30年間はいったい何だったんだと奈落のそこへ突き落とされる・・・・・

その妻が、あの『 スクールウォーズ 』のモデルになった京都の伏見工業高校のラクビー部監督 山口良治の娘であり、また山口良治の隠蔽された真実も知る

仏様の手の平の中で30年間 厳しい修行をつんだかのように、もがき苦しんでいた時に

千原ジュニアさんが『 すべらない話 10周年 スペシャル 』にて私とのエピソードを話され、テレビの画面からエールをもらう

そして高倉 健さんが亡くなる一週間前に、何故かしら急に健さんのことが気になりネットで検索してみる

そこで目にした一枚の写真・・・・・ 

高倉 健さんが亡くなる1週間前に

私に届いた健さんからのメッセージ

2015年5月10日に東洋と西洋の孤高の男 二人が残していってくれた世界を救う岩戸開きへのメッセージを配信しました

本音で語るブロガー

ミル★ヤタガラスを宜しく

何故 私がその世界を救う奥の院のシナリオを知ることが出来たのかは2015年2月25日より連載しております、俺とシュワルツネッガーの30年『ターミネーター』物語 全23話を読んで下さい

間もなくニコラ・テスラのフリーエネルギー社会がやって来ます 全人類は、それに備えて準備をして下さい!!!

尚 煩悩くんフルスロットルのヤッズさん以外

ブログから記事中の文章等をそのまま無断転載するのは堅くお断りします。よろしくお願いします
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