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ミル★ヤタガラス

Author:ミル★ヤタガラス
I am #1 Arnold Schwarzenegger Fan & #1 Steve McQueen Fan in The World
スティーブ・マックィーンとアーノルド・シュワルツネッガーの二人を究極に愛した私は1990年より世界を救う活動を開始。 愛と平和と英知の正しいトゥモローランドの作り方を教える情報ブログ



高倉 健さんが亡くなる一週間前に、何故かしら急に健さんのことが気になりネットで検索してみる

そこで目にした一枚の写真・・・・・ 

高倉 健さんが亡くなる1週間前に

私に届いた健さんからのメッセージ

2015年5月10日に東洋と西洋の孤高の男 二人が残していってくれた世界を救う岩戸開きへのメッセージを配信しました

本音で語るブロガー

ミル★ヤタガラスを宜しく

何故 私がその世界を救う奥の院のシナリオを知ることが出来たのかは2015年2月25日より連載しております、俺とシュワルツネッガーの30年『ターミネーター』物語 全23話を読んで下さい

間もなくニコラ・テスラのフリーエネルギー社会がやって来ます 全人類は、それに備えて準備をして下さい!!!

尚 煩悩くんフルスロットルのヤッズさん以外

ブログから記事中の文章等をそのまま無断転載するのは堅くお断りします。よろしくお願いします

カテゴリ

武田鉄矢さん曰く 高倉 健さんはS・マックィーン



健さんの訃報を受けてテレビのニュースやワイドショーで放送された武田鉄矢さんが語ったコメントには

一番 大切な部分が編集でカットされていました。

高倉 健さんを間近で見ていた武田鉄矢さんが語った、俳優 高倉 健さんとは、いったい何だったのか・・・・・


以下 全文


 高倉健さんの訃報を受け、映画「幸福の黄色いハンカチ」(昭和52年)で共演した歌手で俳優の武田鉄矢さん(65)は18日、都内で会見を開き、時折、涙ぐみながら高倉さんの思い出を語った。

 午前中、病院の検診に行っていて、(病院から)表に出たとき、マネジャーから(高倉さんの訃報を)聞きました。この事態をどう受け止めていいのか、呆然(ぼうぜん)としている感じです。一生懸命仕事して、(高倉さんに)褒めてもらえるという機会が二度とないのか、と思うと、目の前がほの暗くなる感じです。

 実際にお目にかかったのは、もう10年以上前です。健さんは200本以上の映画に出てい らっしゃいますから、僕が語れるのはその約200分の1なのですが、僕にとって(『幸福の黄色いハンカチ』は)200本分の値打ちがあるような一本でした。僕の映画の全てです。演じるっていうことの無垢(むく)さ、純真さを教えてくださったのは、生涯の宝です。

 〈フォーク歌手だった武田さんにとって、映画「幸福の黄色いハンカチ」は初めての俳優の仕事だった。高倉さんはそんな武田さんを気遣い、撮影の間、常に励ましを忘れなかった〉

 僕が北海道の草原を下痢をしながら走る、というシーンがありました。皆さんが笑ってくださるおかしいシーンなんですが、僕があまりに必死だったので、健さんもかわいく思えたのでしょう。お笑いになったんです。健さんが吹き出した瞬 間、それで画面に生気がさして、やがて、監督が「一発OK!」と言いました。健さんは「ここで受けるのはおまえだけなんだから」って、からかうように、こそっとおっしゃった。ヘタレでどうしようもない僕を励ましてくださった。

 また、僕や桃井かおりがしょげたりしていると、健さんはそっと、「晩飯は、いっぱい食うなよ」と言って、晩飯の後、3人で出掛けました。レストランを借り切ってね。健さんはワインを飲んでいました。あの夜のぜいたくな思い出も生涯忘れないと思います。

 それ以来、心の中では本当に「健さんのようにやりたい」と思っていました。新人がいたら、なるべく優しくしてあげたい。僕は大きな俳優にはなれませんが、あの人が持っている優しさを現場でま ねしたいというのは、夢でした。

 インとアウトが全然違う人でね。よく覚えているのは、(桃井さんと)3人でご飯食べたとき、いたずらしたくなったんでしょう。「おまえら、若いからいいよなぁ。俺なんかもう、じじいだから、誰も相手にしてくれないよ」なんて言った。そうしたら、それから給仕に来る人がチャイナ服だったり、和服だったり、変な人が来る。健さんの言葉を聞いた店の人が隣のキャバレーから次々にお相手を連れてきていたわけです(笑)。健さんは「まいったなあ」と言いながら、「疲れてるから」って、あの口調で断っていた。いたずらを仕掛けて、自分で慌てるようなところがあって、少年のような人でした。

 〈武田さんと桃井さんが2人で泣きながら、妻役の倍 賞千恵子さんのもとに高倉さんを送り出すラストシーンでは、どうしても泣けない武田さんに、高倉さんが「撮影、つらかっただろう。東京に帰っても元気でやれよ」と声をかけ、感激した武田さんが泣いたことで本番に臨めたというエピソードは有名だ〉

 僕は(俳優としては)素人だったもんだから、健さんにそんなふうに言ってもらうと、もう泣けてきちゃって。その瞬間を見計らって、監督が「よーい、本番!」ってカチンコが鳴ったんです。健さんの演出がなければ、とてもかわいたラストになっていたと思う。

 「幸福の黄色いハンカチ」は山田監督が、健さんが持っている鮮やかさではなく、哀しみに注目した作品だと思う。分かり合えない男女の哀しみだとか、中年にさしかかって、 「馬鹿だったなぁ」と思い出す。そういう嘆きが映画の端々に表れている。

 当時、僕は27歳で、本当に何も分かっていなかった。でも、ある日、健さんが映画のテーマを語り始めたんです。「山田洋次が描きたいのは『お帰りなさい』なんだ」と。人間にとって、家に帰ったとき、「お帰りなさい」って言ってもらうことがどれだけ幸せなことか。それを語る健さんが、すごく印象に残っています。


健さんはスティーブ・マックイーンのように、セリフでセリフをいうんじゃなくて、存在でセリフを言うようなお芝居を夢を見ていたのだと思います。


夢ですけど、山田監督と組んで、もう一度、映画をやってみたかった。でも、『幸せの黄色いハンカチ』1本で十分です。健さんのようなすばら しい俳優さんと1カ月間、泊まり込みで一緒に仕事ができた。本当に幸せなことです。

 〈会見で、「幸福の黄色いハンカチ」のシーンを写したスポーツ紙の号外を眺めて、「本当にうれしい」涙ぐんだ武田さん。最後は高倉さんとの思い出をかみしめるように語った〉

 あるとき、僕が『健さんは富士山ですよ』って言ったら、健さんはくすくす笑って、『富士山は寂しいぞ』って言ったんです。それに「おまえは駆逐艦でいいなあ、空母はつらいぞ」と、言われたこともあります。僕は、駆逐艦で好きなところに行って、2、3発撃って帰ってくる。でも、健さんは俳優として、空母のようにみんなが活躍するのを見守っていてくれた。健さんのご指導と優しい励ましの言葉、一生宝にして生きて いきます。

 「仕事になった以上は真摯(しんし)にやれ。必死になってやれ」ということを教えてくれた。一生懸命仕事して、1回褒められたかったなぁ…。そういう言葉が本当に励みになる人でした。

 鮮やかな“高倉健”という残像のみを残していかれました。僕らは背中しか見送れませんが、その後ろ姿に深く深く一礼をささげたいと思います。

(産経新聞)より


【 健さんはスティーブ・マックイーンのように、セリフでセリフをいうんじゃなくて、

  存在でセリフを言うようなお芝居を夢を見ていたのだと思います。 】


危なく この大切なコメントが歴史の中から消えるところだった・・・・・・・・・

日々 高倉  健さんにまつわる関係者のエピソードや情報がなだれ込んでくる中で

放送の時間枠の為 カットされたものが、1番重要なものだったのですから・・・・・

見つけられた自分にも褒めてやりたいぐらいです。

これで私に届いた 高倉  健 さんからのメッセージは間違いなかったのです


  武田 鉄矢さん  

  健さんに代わって  代弁して下さり 本当にありがとうございました 

    
                         ミル★ヤタガラス
                         2014年12月1日




(※このテレカは文春文庫ビジュアル版 男優ベスト150人の選定記念で作られたモノ
S・マックィーンは外国人26位 高倉 健さんは日本人5位なのに、どうしてか2人が選ばれテレカになったのです
生前に作られたマックィーンと健さんのプロダクトは、これだけの超貴重品)
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