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ミル★ヤタガラス

Author:ミル★ヤタガラス
I am #1 Arnold Schwarzenegger Fan & #1 Steve McQueen Fan in The World
スティーブ・マックィーンとアーノルド・シュワルツネッガーの二人を究極に愛した私は1990年1月より世界を救う活動を開始。 

陰謀論サイトにある666の新世界秩序ではなく

人間の尊厳がある

愛と平和と英知の

正しいトゥモローランドの作り方を教える情報ブログ



高倉 健さんが亡くなる一週間前に、何故かしら急に健さんのことが気になりネットで検索してみる

そこで目にした一枚の写真・・・・・ 

高倉 健さんが亡くなる1週間前に

私に届いた健さんからのメッセージ

2015年5月10日に東洋と西洋の孤高の男 二人がきっかけで天才ニコラ・テスラのテクノロジーで世界を救う岩戸開きへのメッセージを配信しました

本音で語るブロガー

ミル★ヤタガラスを宜しく


間もなくニコラ・テスラのフリーエネルギー社会がやって来ます 
全人類は、それに備えて準備をして下さい!!!

尚 煩悩くんフルスロットルのヤッズさん以外

ブログから記事中の文章等をそのまま無断転載するのは堅くお断りします。よろしくお願いします

カテゴリ

イーストウッドが遂にマックィーンについて語る!!!



私がブログを開設して以来 数々のシンクロ現象や隠されていた

事実が表に出てきたりしているのだが、その中で特に

問題視していたのが、このイーストウッドとマックィーンの関係である。

映画『 ベイマックス 』の隠されてる裏メッセージを俺が解読したわけだが


ベイマックスを10倍楽しく観る謎解き解説  誰も知らない本当のベイマックス


これからやってくる時代とは【 鶴 】と【 亀 】の融合の時代であり

表の支配層(イーストウッド)らの時代の終わりを意味しているのである

人は必ず、有頂天になる時があるわけだ。

それまでは心の中にしっかりしまっておいている事でも

つい 気が緩んで喋ってしまう事があるのです


表の支配層の太鼓持ち監督のイーストウッドが作った

プロパガンダ映画 『 アメリカン・スナイパー 』の大ヒットにより

反イスラム映画 アメリカン・スナイパーというプロパガンダ


機嫌が良くなったのか、それとも映画への色々な意見が寄せられており

その会話の中でイーストウッドが自分の過去に出演オファーがあった

戦争映画についてインタビューで答えてしまったのです

それが コッポラ監督の 『 地獄の黙示録 』であります






この映画へのオファーを断ったことはイーストウッド・ファンの方には

知られている事なんですが、話はそれで終わりではなかったのです





『 地獄の黙示録 』の原作を読んでいたイーストウッドは

コッポラ監督から出演のオファーを受けます

その時点で、一旦 良い物語とは思うが出演を断ります

この時期なのですが、映画の撮影が76年の2月からですから

75年の出来事で間違いないはずです

イーストウッドの役はマーティン・シーンが演じた

ベンジャミン・L・ウィラード大尉でした。






コッポラ監督は 『 ゴットファーザー 』(72年)『ゴッドファーザーPART II 』(74年)

により、イーストウッドへオファーを出した当時は、もっとも実力も名誉もある

監督でありました。

『ゴッドファーザーPART II 』の公開日はニューヨークで74年12月12日

全米では12月20日からでした

それとほぼ同じ12月14日に公開されたのが『 タワーリング・インフェルノ 』です

全くタイプの違う映画が2本 同時期に公開され、そのヒットの勢いは

75年に入ってからも、ずっと続きます

その段階で、コッポラ監督が次回作に『地獄の黙示録』を選んだのですが

同時に選んだのが、主役であるスティーブ・マックィーンであります

第一オファーはマックィーンであり、そこを軸に、他の配役を選ぶ方向に

行ったのですが、マックィーン本人は、長年のライバルであった

ポール・ニューマンを『 タワーリング・インフェルノ 』で打ちのめし

映画の超大ヒットにより大金を手に入れ、アリと一緒にマリブの家で

過ごす生活をしていました。先日 放送された 『 I am Steve McQueen 』

にて マーシャル・テリル氏がマックィーンが手にしたギャラ1400万ドルを

現在に換算すると8000万ドルぐらいと発言されましたが

74年12月の1ドルは日本円で300円で、出来高分は後日

支払われていますから1年後の75年12月の1ドルは305円

つまり8000万ドルは、それに今の1ドル=120円で計算するのではなく

300円~305円の日本円の価値があったのですから

マックィーンが1本でどれだけ破格の金額を稼いだかがわかるかと思います

ハリウッド No.1の監督になったコッポラ監督が

ハリウッドNo.1のスターに返り咲いたマックィーンを

『 地獄の黙示録 』で起用したかったのも理解出来ます

事実 魅力的な原作だったし、出来上がった脚本も

マックィーンは気に入っていました。 ある一点を除いては・・・

それは マックィーンが気に入った役がマーロン・ブランドが演じた

カーツ大佐だったのです。






当初はコッポラ監督もマックィーンには、マーティン・シーンが演じた

ウィラード大尉役を望んでいたようですが、マックィーンが脚本を

読んで気に入ったのはカーツ大佐の役だったのです。

これは 僕の意見としても、ミスキャストではないと思うし

マックィーンなら、ブランドより、もっと魅力的に演じれたと思います

そのマックィーンの希望をコッポラ監督は受け入れたのです。

当初 私は2007年3月ミズーリー州スレーターで開催された

第1回 スティーブ・マックィーン DAYS にて、

この『 地獄の黙示録 』への出演を断った理由を

マックィーンのカラテのインストラクターだった

パット・ジョンソンさんから、16週間のフィリピン・ロケが

長すぎるのを理由に断ったとイベントにて説明されていたので

その説を信じていました。

しかし 事実はそうではなかたのです

マックィーンはカーツ大佐役なら出演しても良いと思っていたのでした。

そうなると、誰がウィラード大尉役を演じるのか?

そこで 話が行ったのが、クリント・イーストウッドだったのです

イーストウッドは、コッポラ監督からのオファーを一旦断ったのですが

それを聞いたマックィーンは、イーストウッドへ電話をかけたのでした。

『 なんで 映画に出ないだ? 』

『 てっきり 君(マックィーン)がやるんだと思ってたんだ この役は 』

『 いやいや 俺は カーツ大佐をやりたいんだ 』

『  なんでカーツ役をやりたいんだよ? 』

『 どちらも同じ額のギャラなんだが、俺には2週間しか時間がないからさ 』

『 (スティーブ)考え直してくれないか 俺はフィリピンのような未開の地へ
そんな長くは撮影に行きたくないんだ 』

と 当時 マックィーンからかかってきた電話の会話のやり取りを

イーストウッドは先日 インタビューにて答えています



マックィーンからイーストッドへの『地獄の黙示録』を一緒にやろうと誘われた

つまり 全くマックィーンとイーストウッドの間には関係がなかっただけでなく

普通に電話で喋れる関係にあったわけです

『 ジュニアー・ボナー 』にてマックィーンからイーストウッドへの

隠れメッセージがあった、もしくは イーストウッドへのメッセージではなかった

にしろ、生前 マックィーンはイーストウッドと、『 地獄の黙示録 』

への出演オファーに関して電話をしていたのです

そうなると 益々 マックィーンの没後のイーストウッドの行動を

理解出来るでしょうか?

マックィーンが『 タワーリング・インフェルノ 』にて

ライバルのポール・ニューマンと堂々と対決をして

勝利を勝ち取ったわけです

そして 今度は こそこそせずに堂々とイーストウッドへ

映画で共演してみないかと申し入れをしたのです。

もちろん マックィーンはニューマンを打ちのめしただけでなく

75年はハリウッドNo.1 スターへ返り咲いた年ですから

相手がイーストウッドであろうが、誰であろうと恐いものはいません

そのマックィーンからの挑戦状を、未開の地や長期ロケを理由に

断ったのは、それはそれでイーストウッドの考えですから

僕からも文句はありません。

チャンピオンからの指名されたボクサーが

リングに上がらなかっただけであります

そこで ゲームは不成立だっただけですよね

では、俳優同士、男同士、人間同士として交流があった事実を

認めたイーストウッドが、病気で早死にをしたマックィーンの

未亡人であるバーバラさんを何故に、手をだしたのでしょうか?

全く意味がわかりません。

当初 私は 二人の間には、スター同士、男同士の

ハリウッドNo.1 スターのプライド、意地の張り合いみたいなものがあり

それが イーストウッドの中で感情が歪んでしまったものと思っていました

しかし 二人は生前 交流が最低1度あったのでした。

マックィーンとイーストウッドの間には共通の友人として

ジュームス・ガーナーがいます

ジュームス・ガーナーのテレビ西部劇『 マーベリック 』にて

イーストウッドは『 ローハイド 』がスタートする前の

1959年2月1日放送『Duel at Sundown 』にて

出演しました。

当時 既に大人気だったジュームス・ガーナーを

まだ『 ローハイド 』もスタートしていなかったイーストウッドは

出演をきっかけに憧れのスターになった事をインタビューで答えています

その後もジュームス・ガーナーがテレビから映画スターになっていく

過程を、映画館に観に行って応援していたそうです

まぁ 当時のイーストウッドにすれば、自分も『ローハイド』をきっかけに

ジュームス・ガーナーのように映画スターになってみたいと思ったのも

自然な感情でしょう

そのイーストウッドは、『大脱走』(63年)に出演した

ジュームス・ガーナーがスティーブ・マックィーンのせいで

目立たなかった事を、2001年にTCMで制作された

ジュームス・ガーナーへのドキュメント作品に出演して言及しています



★動画3分20秒辺りから・・・・

まぁ 自分が応援・目標としていたスターが、『大脱走』で

活躍が目立ったマックィーンに対して、そう感じたらな仕方がないでしょう

その時のマックィーンへの印象が残っていたのかはわかりませんが

『 地獄の黙示録 』で自分がマックィーンと共演したら

同じ目に遭うのかも? と 色々と考えていたのかも知れません

でも それはいいのです

事実は 二人は生前 『 地獄の黙示録 』への出演を巡って

マックィーンからイーストウッドへ

『 一緒にやろうぜ !! 』 と声をかけられていた

それを

イーストウッドは断った

そして 80年11月7日にマックィーンは中皮腫で亡くなった

その6年ほど後に、悲しみにくれていた未亡人のバーバラさんを

サン・バレーのカントリー・バーにてお酒を飲ませて口説いて、寝た

というのが全てであります


065 (480x360)

まぁ 世の中 何が恐いかと言いますと、友達顔した奴が

死後に、このように未亡人に近寄って、寝た後に

ポイして 更に 彼女の心をボロボロにさせる奴ですよね

このニュースが表に出てきたのが3月20日です

こういったのも偶然ではなく、イーストウッドの本性をもっと知りましょうという事でしょう

見えざる力によって、これからも世に隠された事実は明らかになって

奥の院のシナリオ開示へとなっていくのです・・・・


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